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エネルギー政策の大転換を契機として

プレゼン、セールスと考えてきて、ちょうど自民党から民主党の政権交代に直面した。経済界に属する人々は「経済はすでにグローバリズムで熾烈な競争をしており、遅れた政治に見習うべきものなどなにもない」と言いたげ。しかし、財界べったりのTV東京の小谷が民主党の新政府要職者になんとも理解力がないなあと呆れるほどのおバカぶりを露呈しているのを観ていると、結局現在の経済界も意外に底が浅いんじゃないかと哀しい感じもしてくる。そこで、ええいもっと大上段から可能不可能問わず、検証未検証問わず、責任あるなし問わず、思いつくままビジネスのことを書いてみることにした。これまでもそうだが、自分の考えをまとめるためにね。

民主党に対して経済政策がない、経済発展の戦略性がないと論じる向きがあるが、僕には全然そう見えないのは肩入れのしすぎだからだろうか。民主党にはエネルギー政策を根底から覆してこの国の経済のあり方、いやもっといえばこの国のスタイルも全部変えてしまえ、っていう過激なところを感じてしまうのだが。

エネルギー供給の前提が全部変わるとなると、この国の根幹のインフラ全てを全部造り直しということになるから、経済波及効果なんてとどまるところを知らないんじゃないかと思えて仕方ない。太陽光発電が単位当たりの収率が悪くて採算ベースに合わないというが、こんなもの、政策誘導でしばらくの間買い取り価格を劇的に変えてしまえば、あっという間に変わってしまうような気がする。民主党の政治家がよく口にする「要はやるかやらないかだけの問題」というのは本当にそうなんじゃないかと思わせる。エネルギー供給のスタイルが変われば、車も変わる、住居も変わる。たぶん、素材も変わる、付加しなきゃならない機能も変わる、それらから派生する技術の応用で生活の中の仕組みが変わる、すると生き方が変わる、生き方が変わるから働き方が変わる、社会における人員配置が変わるから教育も変わる… こうやって全てのドミノが倒れてゆくのだ。

だから、今、エネルギー政策の大転換に関連する情報は見落としてはいけない。

私は、超超薄型のフィルム状のソーラーパネルができたら、太陽光を遮る用途に応用してひと儲けできないかと考えている。考えているだけで何もしていないけど。。
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「おくりびと」にみる団塊ビジネスの最終形

昨晩、地上波でも「おくりびと」が放映された。オスカー受賞したくらいだから名作なんだと思うけど、僕にはこの作品を観るたびに「いよいよだな」という別の感慨がふつふつとわき上がる。

戦後の日本経済を支えたのは間違いなく「団塊の世代」である。彼らが生まれた落ちた瞬間から、日本経済は彼らの周囲をぐるぐるまわっているに過ぎない。

その彼らが60歳になった。自らの子どもすらあまりかえりみることのなかった元祖わがまま世代は、日本の富を自らに偏在させ、かえって年金問題なんかで困るという皮肉な結果に苦しんでいる。しかし、彼らが直面する本当の難題はその次にある。

彼らは自分の死をこれまでの日本社会の世俗的風習の延長線上で考えることができなくなっている。なぜなら、彼らは旧来の地縁社会を自ら率先して分断し、個々をバラバラに切り離してしまったからだ。もちろん、それは彼ら自らが好んでやったことではないだろうが、結果としてそうしてしまった。だから、彼らは彼ら自身で人生の最終的な決着をつけなければならなくなっている。寄るべき地域社会は死滅しまったのだ。

この不安は彼らが50歳を過ぎるころから少しずつ広まり始めた。ただ、この10年間に先行した現象としては「墓地の購入」と「医療保険の購入」に顕著であるにすぎない。「死」は意識されはじめたが、抽象的な「死後の世界」と現実的な「死に至る前の状況」に対する関心に過ぎず、「死」そのものの意味を問うものにはなっていない。50歳代の彼らにはまだまだ「死」は遠すぎたのだ。

だが、彼らも60歳になった。「死」そのものの意味を問わずにはいられなくなりつつある。「死」は全ての終わりなのかどうかというとてつもなく重いテーマである。

映画のワンシーン。夫の仕事が納棺師と知った妻広末が激しく夫を詰るシーン。

「触らないで、穢らわしい」

団塊の世代は、これまで「死」を「穢れ」として忌み避けてきた自分自身をそこに発見し、その忌むべき「死」の当事者に今まさに自分自身がならんとしている、この現実に気付き慄く。わが世の春を謳歌し続けた世代が、人生の最後に到達する「忌むべき存在」である自分自身に気付く瞬間である。

彼らはそれを座して受け入れる世代ではない。おそらく信じられないパワーを発揮し、依るべき新たな価値を見出すであろう。この映画は彼らにそのきっかけを提供した。だからこれだけの共感をもって迎えられたのである。

この「おくりびと」をスタートラインとして、日本経済はついに団塊の世代の「死」を正面から捉えるビジネストレンドに足を突っ込む。だがこれは団塊の世代だけをマークしておけばそこそこに商売が成り立ったビジネストレンドがまもなく終焉するということでもある。その次を用意してこなかった日本人全体がつけを払わされるのはこの次である。

だが、まだ20年の時間は残されている。この20年間は彼らと一緒に日本人が「死」を考え直す最後の時間であり、その次を準備する貴重な時間でもある。

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政権交代を前提にしたビジネスのあり方

八ツ場ダム問題がどうも泥沼になりそうな気配。住民側は交渉のテーブルにもつかないというのだが、数を背景にした強引な決定はしないと言い続けている民主党はどう対処するのだろうか。

この問題、政権が変わると前政権が推進した事業が中断できるのか、という捉え方をすべきではなく、政権交代が行われた場合に顕在化する深刻な意見対立の反映を前提に、事業はどのように進めておくべきか、という理解をすべきである。もはや、この先は政権交代が前提になるのだから、複数年度に跨る事業は多かれ少なかれその影響を被ることになる。その時のための教訓を、この八ツ場で高い授業料を払ってでも、われわれは知るべきなのだ。

政権交代が実現したのに、主要な施策が前政権が約束した通りでなければならない、と新政権の手足を縛り続ければ、結局、政権交代って何よ?って話になる。政権が交代すれば深刻な意見対立の結果は180度変わって仕方がないのである。

だけど日本はその経験がないから、意見対立が深刻化しても、これまでの為政者が「ええいやあ」でやってしまえた。最後は強権力を発動してでも事業の推進は可能だった。

だが、これからはそうできない。だから、深刻な意見対立なまま、事業に投資してはならないという教訓が新たに生まれることになる。政権が変わった瞬間、投資はあぶく、になりかねない。

??そんな非効率な、それじゃ生きた経済など成り立たない。そんな意見が聞こえそうだ。

いえいえ、これが政治と経済の関係なんですよ。民主主義とはこういうまどろっこしいもの、非効率を絵に描いたような制度なんです。だって、何事も合議で決めるわけでしょ?そもそも経済効率性とは真反対にあるようなもの。でも、これからはそういう非効率な決定プロセスをちゃんと踏んで物事を決める、という選択をみんなでしたわけだから、これはもう甘んじるしかない。

だから、この八ツ場ダムは、事業そのものは白紙にするしかない。その撤収に何千億円かかっても、これは原理だから仕方ない。そして、このように撤収にコストがかかるんだということをちゃんと知覚することで、やっぱ、鋭い意見対立がある事業はあんまり拙速に投資してはいけない、意外に公共事業はおいしくない、という経験則が成り立った時、この国のお金はもっとうまくまわりはじめるんじゃないだろうか。お上が決めるハコもの事業なんて、割りに合わない、って感じになって、お金はもっと違うところに向かう。

こういうことがわかると、ある一定数の経済人は絶対に反動する。「やっぱ経済至上主義の保守主義だな」ということになりもう一度自民党に戻る。それでいいんです。この反動のプロセスを経て、ちゃんとした二大政党制が定着するんですね。きっと。

ということで、八ツ場ダム関係者は撤収を前提として、あとは条件闘争に切り替えた方がいいと思うけど。。

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癒しビジネスの行きつく先

最近は何でも「コールセンター」である。昨日も調子の悪いPCを遠隔で確認してもらいながら、つくづく彼や彼女はストレスのかかる仕事だなぁと同情してしまった。クレーマーから面と向かって罵倒されるのも嫌だが、顔の見えない相手から一方的に罵声を浴びせられるのも、ホント気の毒な仕事、と思わざるを得ない。彼や彼らは正当な報酬を受けているのだろうか。

おせっかいなことだが、彼や彼女はどうやってストレスを発散しているんだろうなぁ、と考えてしまった。仕事柄、見えぬ相手とはいえ逆ギレすることもご法度だろうし、守秘義務から「ねぇねぇちょっと聞いてよ、今日さぁ…」と、家族や恋人を相手に愚痴ることもままならないだろうし。結局、我が身にストレスをため込んで、何かでパーっと発散ということになるのだろうか。

きっとコールセンター周辺では癒し系ビジネスが大流行だろうな。てもみん、耳かき屋、リフレクソロジー、ペットショップ?

で、癒し系ビジネスで働く人々は、自らに貯め込んだストレスをどうやって解消するのだろうか?ストレス耐性があるから大丈夫?たぶん程度の差だと思うけどなぁ。どこかでやっぱり何らかの癒しをわれ知らず求めているんじゃないだろうか。

結局、ストレス社会はストレスの連鎖を呼ぶ。ある人のストレスは一時の癒しで解消できるとしても、癒す側もいずれ癒しを求める。結局、ストレスの連鎖は社会をめぐり、本質的な解消はストレスとなっている仕組みの除去を待つしかないのだ。

しかし、ビジネスとしてはしたたかに成り立つ。別に特別な何かを提供せずとも、一方的な話を受け止める時間と空間さえあれば、このビジネスは当面成り立つ。コールセンターの地方進出にともなって、癒し系ビジネスも地方に進出だ。。

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ららぽーと柏の葉は素晴らしい

ららぽーと柏の葉に出かけた。街並みも新しいつくばエクスプレス駅前のショッピングモールは、太陽光をうまく取り入れた開放感があり、大きすぎもせず小さくもなく、モールとしてはとても気に入った。

だからといって、ここで何かを買い求めようか、という衝動は起きずじまい。なぜなんだろうか?

理由はいくつも並ぶ。

・開放感がありすぎて、店先に意識が集中しない。ベンチでまったりしたくなる。
・あちこちで見飽きたブランドが並び、モールは新鮮だが店先は陳腐。
・店員が客に関心がない。
・考えてみると、今、欲しいモノが特にない。
・そもそもお金がない。

このモールに限らず、平日のモール、ホームセンターの類はまったく客に関心を示さない。これは最近の流行なのか?

さりげなく客の動向を観察しているという気配がない。店先のポップをいじりまわしたり、とにかく自分の作業、やるべき作業が優先という感じ。欲しけりゃ言ってこい、ってオーラが出てる。

もちろん、付きまとう厄介な店員は論外だが、客に関心のない店員ばかりで商売成り立つのかな?

ただ、この開放的な空間は滞留時間が長くなりがち。今日は通り過ぎただけだが、また来てみようかと思わせるし、のんびりお茶でもしながら半日ぐらいはぼんやり過ごせそうだなと思ってしまう。知らず知らずまんまとモールのしたたかな策略に嵌っていることは間違いない。

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本格的なバーチャル世界でのビジネスチャンス?

来年の今頃には3DTVが家庭の居間に登場しはじめるのだろうか。この手の技術の普及には、良かれ悪しかれアダルト系ソフトが一役買うから、きっと今頃、その筋の人たちも研究に没頭していることだろう。

視覚的なバーチャルに加え、臭覚バーチャルの実験も進んでいるはずだ。映像にあわせて匂い成分を発散させ、臨場感を高めるという試行が行われた記憶がある。視覚に加えて臭覚的なバーチャルも実現可能なのかもしれない。

すると残るは触覚だ。この世界もかなり以前から「人工的な人肌の感触」を追及しているはずだから、これまたバーチャルは想定内にありそうだ。

でも、触覚については映画「おっぱいバレー」がとてつもないヒントを与えてくれている。ご覧になった方はもうおわかりだろう。

そう、「風圧」である。あの映画に登場するおバカな中学生は、おっぱいの感触を自転車を漕いで得られる手のひらの風圧で代用することを思いついた。何と素晴らしい発想だろう。人工皮膚に頼らずとも、風圧のコントロールでその手のバーチャルが実現できるとすると、市場は一気に拡大しそうだ。

もちろん、私はその実現性を確認するため、時速80kmの車から腕を伸ばし、手のひらに受ける風圧がほぼDカップに相当することを追認済みである。

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そんなに儲けてどうしようっていうんだ?

社会的起業が注目を集める。この分野で成功しつつある経営者の話を見聞きしていると、社会に対する何らかの貢献という目的意識の高さを感じるが、それ以上に拝金主義からの脱却に共通した思いを感じることができて好ましい。

事業の成功は何で測ることが妥当なのだろうか。これまでは投入した資金に対する回収効率ということだけで理解してきたところがある。いかに早く、いかに大量に。そして人も羨む収益を達成し、自らに還元する。それこそが資本主義であり、本義であると信じてきた。そこに幸せがあるはずだった。

ところが、そこには何もないかもしれない、人が幸福であることとは何かを資本主義の入り口で考え直した連中がそこそこの数になり始めたということが好ましいではないか。

同様の仕事をしながら、報酬に倍以上の違いが発生する現場が厳然として存在する。大量の資金を大量に動かし、そこに大量の利得が発生するという不自然さが存在する。不都合な矛盾を子どもたちにどうやって説明したらいいのか言葉に詰まる。お前は勝者になれというのも憚られる。

先日、新聞のインタビューにある金融機関の会長が応えてこう語っていた。「そんなに儲けてどうしようっていうんだ。」一瞬目を疑ったが、世の中の気分は変わりつつある。

過大すぎる超過利得を目的としなければ、社会的起業のヒントはあちこちに散らばっているように見える。自分のできることを始めてみようじゃないか。

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農産物をネットで売ろう!

ネットで買い物をし始めてそろそろ10年になる。最初は単純に面白くて、何でもかんでもネットで買おうとしたものだが、最近は対象が限られてきた気がする。ネット売買に向いているもの、そうでないものの区分けがようやく固まりつつあるってところだろうか。

最初にネットで買わなくなったもの。衣料と革製品。どちらもネットでみると色、艶ともに良さそうに見えたんだけど、実際に届いた品をみてがっかり。風合いが想像していたものとまるで違っていた。それからというもの、肌触りや触感に重きを置く品物は買うのをやめた。ただ、ネットで価格だけはせっせと調べている。ネットの役目は比較情報の入手と割り切ったのだ。

次にネットで買わなくなったもの。大型家電品。最近の家電品は当たり外れが大きく、3年程度で必ずと言っていいほどガタが出る。我が家はずーっと「●バシカメラ」御用達。残念なことに「●バシ.com」では長期保証が選択できないので、今ではやっぱり価格情報の比較だけ。ただ、小物のまとめ買いはしてるけど。

逆にPC関係は絶対にオンラインで買う。どうも量販店の品揃えは中途半端で自在性に欠ける。

食品のお取り寄せについては、時々衝動的にすることがあってもどうも定着しない。これもネット上で表現されているものに対して現物がチープな印象になることが多すぎる。期待感を常に下回っている気がしてあまり買わない。

で、絶対にネット上が向いていると思うのが金融。銀行の窓口に並んでべらぼうな手数料をふんだくられるのはどうにも納得がいかない。金融など所詮数字だけの世界。ネットで完結は原理上簡単なはず。

あとは、書籍とCD・DVDもネット。期待感を下回るということが絶対にない。

こう考えると、ネットで購入して問題がないのは無機質な使いきりの品。長期間のメインテナンスが必須と思われる品は向かないが、そこも割り切りの問題。逆に、有機的で質感を重視するものはやっぱりネットで完結というわけにはいかない。ただ、ユニクロのタオルみたに、一度風合いを確認した品の再取得には便利。

だからこれからネットビジネスに乗り出すなら、有機物を取り扱うべきなんだなと思う。質感に対する期待感を下回らせない工夫ができればいいということだ。地方の農家が都会の若夫婦を地元に招くツアーを行い、実際に農作物ができる姿、集荷配送の現場などもぜーんぶ開示し、一日田畑を自由に歩き回らせて買い物をさせる。そして帰り際にIDを渡して、「これから購入はネットでどうぞ」、なんてのはどうでしょうか。。

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介護ビジネスのメインターゲット

「介護ビジネス」という言葉自体が不謹慎、不穏当かもしれないが、朝刊に介護施設のPR記事が載らない朝はないといっていいくらだから、一大ビジネスであることに違いはないだろう。

ただ、これらの広告記事を観ていると、一体このビジネスは誰がメインターゲットなんだろうか、と思ってしまう。今、まさに介護施設に入ろうとしている70歳代後半の世代が中心?それとも、これから先10~15年先を考え始めた団塊の世代がメイン?

実をいうと、ここには大きな分水嶺があって、ひとくちに「お年寄り」で括ってはならない意識の断層があると思われる。

戦前戦中派、つまり昭和15年生まれくらいまでは、戦争の実体験があり、少なくとも最初の公教育を明治文化の中で経験していて、「人さまの世話になること」に対する根本的な「恥」の文化が色濃く、さらに「贅沢」に対する後ろめたさから抜けきらない。誰かの世話になることを嫌がる感情は、「金」の問題とは切り離されていることが多く、できれば、自分の身の回りくらいは自分でするべきとの心底思っている。だから、介護施設の快適さは彼や彼女を落ち着かない気持ちにさせるだけであり、おそらく、本心ではさぞかし居心地が悪いんだろうなと想像している。だから、快適な環境や振り撒かれる笑顔を記事で発見しても、どこか絵空事に感じていて触手が動かない。むしろ、質素な環境でも、できるだけ自分のことは自分でやれるという印象を与えることの方が重要だ。

他方、昭和15年以降の公教育を昭和世代のものしか知らない世代になるとがらりと様相が変わる。介護施設で暮らすかどうかは個人の尊厳にかかわる重要事であり、快適性と自分らしさが最期の瞬間にまで実現できるかどうかが主な関心になる。コンシェルジュのように自分に傅く職員がいる方がいいに決まっているし、もちろん自分の身の回りは自分で出来る範囲のことをやるが、それは自分が好きでやっているにすぎないから、できなくなって人の手を借りて何が悪い、そのための費用もちゃんと負担しているじゃないか、というふうに論が展開する。

さよう、「お年寄り」はもはやひと括りにできないのだ。

では改めて介護施設のPR記事を眺めてみよう。団塊の世代向けには良さそうな言葉が並ぶ。が、その上の介護顕在層に果たして響くものが多いと言えるか?

つまり、介護ビジネスも団塊ビジネスである、ということなのだ。だから、この層がニーズを顕在化させるまであと10年、業界は我慢しなきゃならない、ということだ。。

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思い出の街並みは今、でビジネスできませんかねぇ

小学3年生の娘にGoogleマップとストリートビューの使い方を教えたら嵌ってしまい、夕方から寝る時間までずーっとやりっぱなしだった。出掛けた記憶のある場所を探し当てては喜び、ストリートビューで見かけた風景に出合うだけで喝采をあげる。過去の生の記憶と、目の前の記号の世界が符合することに、知的好奇心を刺激されたのだろう。社会科嫌いの子供には面白い作戦かもしれない。

ただ、地方都市のストリートビューがまだまだ完備されていないので、せっかくの思い出を確認できないところも多く、本人は少し不満気。父親の私に「いつ頃できるか」と無理な質問を繰り返す。世界のGoogleさんのことだから、きっと4年生になったらそうなっていると全く根拠のない回答でその場をしのいだ。

これまでストリートビューは少しおせっかいのすぎるサービスだと思っていた。なるほど、都会の路地を探し当てるには視覚情報は有効だ。時々重宝にさせてもらうこともあるが、地図を見慣れた者にとってはなくてもかまわないサービスだと思っていた。

しかし、このサービスの延長線上には、過去訪れた場所、または思い出の場所があれからどうなったのだろうか、今も変わらぬ姿を留めているのだろうか、ということを確認し懐かしむ、または心を癒すサービスが考えられるなと思った。地図情報と組み合わさることで、昔辿った行程を再現しつつ、彼の地の変遷に思いを馳せる… なかなか味のあるビジネスプランではないか。

しきりに日本全国、世界各地を飛び回っている団塊世代がベッドに伏せるようになった頃、このサービスは脚光を浴びると思うけどなぁ。。

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